浅田って言います。生きるのが下手です。

皆さんこんばんは。浅田って言います。朝だろうが昼だろうが、「こんばんは」の響きが一番好きなので、基本挨拶はこれで統一させてもらってます。

さて、いきなり本題に入りますが、僕は生きるのが下手です。本当です。

人間であるからには誰しも得意不得意があって然るべきですが、その対象が「人生の歩み方」ともなってくると、話は変わってきますよね。

小学校低学年のとき友達付き合いが下手だったことや、運動が苦手だったこと。高校の学園祭のためにダンス練習をしていたとき、しっかり「できないグループ」で特訓させられていたこと。そして何より、ここまでの23年間一貫して女性付き合いに不慣れであること。

ふと振り返ってみただけでも、これだけの下手エピがありありと浮かび上がってきます。でもね、こんなもんは何にも問題にならないんです。なぜなら、時間と人任せで解決できるものだからです。もちろんその際には精一杯の感謝と誠意がセットでなくてはなりませんが。

一方、なぜ「生きるの下手(ベタ)」は重大な問題となりうるのか。まず生きるのが下手であるとは具体的にどんなことを指すのか、軽く定義してみました。

基本的には、「人生において重要な局面で、しなくても良いことを積極的にする」ことだと思っています。つまり、合理的な判断が求められると、なんとなく反発したくなるのです。

僕の人生の中で言えば、高校や大学受験で、根拠なくレベルの高い学校を目指してみたり、本当は仲良くなりたい人が明白なのに、相手方からアプローチを得られるよう尽力してみたり、といった具合。「いい加減彼女が欲しい」と20年を背負って臨んだはずの合コンで、終始場をあたためることに集中し、僕だけ一切連絡先を交換できなかったこともありました。

もしかするとこれは、僕の「よくばり癖」に起因しているかもしれません。

つづく