日記再開

1月25日水曜日 激寒

「寒波すごいねカンパ」と実体験3割、メディアの受け売り7割のような感想を母がしきりに繰り返していた。ただ私がそれを咎めるニュアンスに振り切れなかったのは、“カンパ”をしっかりと肌で、しかもその威力が倍増するような状態で、感じた事実があったからだ。久々に何も予定のない日だったので、最近それ自体が目的化しつつある図書館で本を予約する行為を、あくまで手段であると証明しようと私は意気込んでいた。普段13時からのバイトに向けた支度をするより早く外へ繰り出したので、フリーターとしての格式は僅かながら高まったに違いない。「10年に1度」とかいう3日に1度聞くようなフレーズで強調されたそれを受けながら、負けじと陳腐で崇高な使命感をホッカイロ代わりに歩き続ける。そして気づく。ちょうど『日の出具合と風の強さが僕の痛覚へ及ぼす影響』の前提を定義し終えた頃、瞬間的には最も衝撃的な4文字を目にしてしまった。

「臨時休業」

 

この際「休業」なんてものはどうでもよかった。いや、なんなら「臨時」だって重要なことじゃない。知っていたのだ。月曜日の定休以外に、第3水曜日のピンポイント休があることを。昨日も同じ動きをしようとして、「よかった、第3週だが水曜日ではない」とまさに安堵したところで、しかし時間の都合上断念したのだった。ああ、人間の認知力とはなんと杜撰なものか。残酷なほどにピンポイント要素が重なったことで、僕は主語を広げて痛みを分散するしかなかった。明日もきっと、今日の教訓を活かせずやるせない思いを抱くのだろう。人生が1日の繰り返しでしかないとすれば、森鴎外が「諦念」の境地に達したのも無理はない。こうして実体験1割、何某からの受け売り9割に基づいた考察をせめてそこで留めることのないよう、明日は予約した彼の全集だけは受け取ろうと、僕は決意した。

菌と鉄

本屋大賞的な催しでピックアップされていて、以前も目についたことを思い出し即買い。厳密には、一話を試し読みできたのでそれを読んでから、もっと言えば隣の『税金で買った本』の試し読みをしたあとだから、かなり広義の「即」ではある。

本作の一番の武器は何かと聞かれたら、「人物の感情描写」であると、私は答える。一般的には「心」情描写という表現をするところだが、『菌と鉄』を語る上で「感情」は最重要ファクターであると考えているので、ここでは本表現を用いることにする。

とにかく、「いい絵を描くなー」と思いながらずっと読み進めていた。特に、主人公・ダンデの感情が昂るシーン。それが怒りとして噴出したり、時には悲しみや感動が、涙という形で溢れ出す。文字が読めないことや、アミガサによる統制により、それらを言葉で表現することができなかったからこそ、誰よりも人間臭い表情を、彼は見せるようになったのかもしれない。

そんなに変わった構図や線を使っている様子はないのだが、片山先生の描く表情は、異様に心に響くように思う。なんでなんだろう。一つの手がかりとしては、スクリーントーンの使い方や絵柄、自由なコマ割りからして、先生は少女漫画を描かれていたことがあるのではなかろうか。あるいはかなり分厚く参考にされている気がする。例による勉強不足で、少女漫画の世界は「君に届け」くらいでしか覗くことができていないのだが…。感情をぶつけ合ってナンボのあの世界について学ぶことは、人間性を絵と文字で表現するときに半端なく参考になると聞いたことがある。人間を描くという面だけでなく、「物語の作り方はラブコメから学べ」と大槻先生も言っていたことだし、中学1年生の「君届回し読みブーム」ぶりに足を踏み入れてみようかな。ハニーレモンソーダあたりから行こうと思います。どうですか?

要するに何が言いたいかっていうと、「菌と鉄」は現代の漫画界に一石を投じることになりそうな作品だということです。物語の奇抜さや構成の緻密さ、演出の派手さばかりが注目されがち(僕の視野が狭いのもあるかも)な今日に、見開き2ページのうち4分の3を大ゴマ表情ドアップに使ってくれるくらい感情描写に力を入れている本作。しかもそれを、ファンタジーというカテゴリーの中で実現してくれることは、非常に大きな意義を持つと思います。

勢いで憶測入り混じりまくりで走り書いてしまいましたが、この作品、とにかくおすすめです。今回は物語以外の部分にフォーカスしましたが、両方ガチです。一話から「や、やられちゃあ!!」をガッツリ味わうことができました。というかそもそも、『進撃』の諫山先生が言うんだから間違いないんですよね。最悪このブログも最後の5行だけ読んでいただければいいです。はい、今日はこの辺で。あ、5行目も消化試合なんでやっぱ4

告白

例の、湊かなえさんのやつをいただきました。相当カロリー持っていかれました。第一印象としては、人間の「悪意」がぶつかり合ったような、ハードな作品だなという感じでした。

ただ、その後頭を整理していったところ、「悪意」という表現は適切ではないなと考えを改めました。「正義の反対側にあるのは、もう一つの正義である」的なフレーズをよく耳にしますが、本作の登場人物は、正義のぶつかり合いではなく、みんな間違っていた。みんながみんな、憎しみやショックに対する行動の選択を誤っていて、結果的にどんどん悲惨な出来事が繋がっていく。観ていてめちゃくちゃスタミナを消費しました。うへえってずっと言ってた。誇張ありで。

ただそんなキチい展開が連続しても引き込まれた要因は、やはり「共感」だと思う。

人間の弱い部分、選択を間違えたら、止めてくれる人が居なかったら、周りに逆らえなかったら、それが積み重なってしまったら…。誰にでも起こりうる悲劇なのかもしれないな、と、これだけの凄惨な事件を見せられた後でも、そう思わされてしまうほどに、心情の描写と構成の巧さが絶妙でした。人間の、見たくはないけど避けては通れない部分を2時間見せられ続けている感覚でした。湊かなえと中嶋哲也、恐るべし。しんどいけど、この人たちの作品をもっと観たくなりました。母性もそうなのかな。明日までに調べときます。

 

わたくし、映画についてはとりわけ勉強不足でして、もはやミーハーにも達せてないレベルでございます。今、これだけ暇な時間があるうちに、質より量で、というかしばらくは質を落とす心配がないくらい観るべき作品はいっぱいあると思うので、頑張ります。確かに「ストーリーを一本丸々作る」ことに挑戦するにあたって、映画ほど適した教材はないよなと、極めて反省しております。そんな私に向かい風が吹くように、TSUTAYAバイトと1200円キャンペーンが始まります。持ってるね。頑張れ浅田、乱読期間じゃ!ブログもちゃんと書いてこうな。

それではまた。

ザ・エレクトリカルパレーズ

という自作映画を観た。初めは『いい歳して』的な感情の比率が高かったが、中盤以降の、ドキュメンタリーとは思えないようなハマった展開の連続に、気づけば魅了されていた。

コメント欄でもちらほら見たが、一種の小説に近い構成だった。複数人に対するインタビューを、謎の核心に迫っていくにつれて小出しで並列していく感じ。これは、朝井リョウ氏の『桐島部活やめるってよ』を彷彿とさせるものらしい。勉強不足すぎて映画も原作小説も読めていないので、今度せめてどちらかだけでも鑑賞してみよう。

物語の中心は、誰もが若者の頃、どんな形であれ一度は接するであろう「イタいイケイケ風集団」。本作でいえば、お笑い養成所NSCでいっとき幅を利かせていた、「ザ・エレクトリカルパレーズ」。イタい以前にそもそも“ジ”だろ、というツッコミはしっかり序盤で回収されていた。

この青春野郎どもをめぐって、当事者、あるいは側からよく思っていなかった者たちが各々の立場から当時を語っていくのだが、その語り口がたまらなく面白い。

展開の都合上、ある程度インタビュアー側が誘導尋問的に進めていく際に、抜群のリアクション、演者力で笑いが次々に起こっていく。誰に指示されるわけでもない、「生の対話」があれだけ面白いのだから、気の利き方が物凄い。月並みな感想だが、改めて芸人ってすごいなと思いました。

 

あ、あと「漫画通」としての顔から入った吉川きっちょむ氏がガッツリ当事者サイドで登場したときはめちゃくちゃアガリました(早口アイキャッチ

 

最後に、僕なりに感じ取った本作のテーマについて少し。

「エレパレ」的な集団に遭遇した経験は、もちろん僕にもある。中学生2、3年生の頃、内輪ノリ王国を気づいていた「D組」だ。あれはしんどかった。今僕が、物事に対して基本肯定的な捉え方をするようになったのは、彼らに対して人生のヘイトストックを使い切ったからではないかと踏んでいる。本作の中できっちょむ氏が、「個々人と接する分にはいいのだが」という前置きをしていたが、まるっきり同じ意見である。そう、きっと同じなのだ。僕だけではなく、皆の周りにいるエレパレ、もしかすると自身がエレパレだったこともあるかもしれない。

エレパレに対する感情なんてものは曖昧なもので、集団からこの“一人”を切り取れば、“一部”を切り取れば、この人“以外”を切り取れば、別に嫌いじゃない。そんな適当な理論がまかり通ってしまうのである。

ただ、そんな不確定なヘイトは良くないものだから、消えてなくなるべきかと聞かれると、実はそうでもないんじゃないかと思っている。誰かを不快にさせるその内輪ノリは、本人たちにとっては人生最高の青春。そういうことも“ある”。「それぞれの見方があるから、マイナスの感情は持つな」ではなく、「それぞれの見方があることを、認識する」。こんなもんでいいのではないだろうか。僕はそれだけで、なにかが変わる気がする。拒絶でも、無理な迎合でもなく、共存。誰かがひときわ無理をすることのないような、そんなバランス感覚の中で、(時には文句でもこぼしながら)生きていきたいな。

 

もっとも、迎合しろと言われても絶対に無理だろうな、という感覚からそう思いたいだけの可能性はめちゃくちゃあると思います。

それでは本日もありがとうございました。はあ…D組しんどかったな。さすがにあんだけ力を尽くしてぴっしり仕上げた卒業式をアドリブでめちゃくちゃにされたらいくらなんでも(自主規制)

シンクロニシティ

洗い物をしていると、ふと、どこからか湧いてきた曲が頭から離れなくなることがある。

「どこからか」と言いつつ、実はテレビで流れているものが微かに聞こえていただけであることがほとんどなのだが。ただ稀に、どう考えてもそれが耳に届くはずのない状況で、ほぼ同時に頭に流れ始めることがある。気がする。ちな年に3、4回はある。なんだこいつ。何かしらの天才とかなのか?

なぜ急にこんなことを言い出したのかというと、まさに今日、その3、4回のうちの1回に巡り合ったからである。曲は乃木坂46の『シンクロニシティ』だった。

この現象が起きたときは毎回、実際に聴き直したい衝動が抑えられなくなるので、例に漏れず今日もそうした。今回は出血大サービス(死語)で、ついでにシンクロニシティの語源について調べてみたところ、興味深い記述を見つけたので共有しておく。

 

シンクロニシティは「共時性」とも訳され,複数の出来事が非因果的に意味的関連を呈して同時に起きる(共起する)こと,である。”

www.isc.meiji.ac.jp

 

まさに、僕の目の前で起こっている現象に近くはないだろうか。以上を踏まえて、改めて今日起きたことを整理すると、こうだ。

 

「僕の頭の中のシンクロニシティと、テレビで流れているシンクロニシティ。決して交わるはずのない両シンクロニシティが、シンクロニシティした。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

は、はにゃ〜!?!?

 

 

 

 

 

ブログ4日目にして、すでに「行間」を支配し始めている。恐ろしい男だ…

 

 

 

てなわけでキリもいいし、西野カナの「if」とかいうとんでもない懐メロが流れてきたため、今日はこんなところにしときます。ではおやすみなさい。

 

ps.シンクロニシティの話、ユング心理学がベースになってるらしくシンプルに面白そうなので、元気がある時にじっくり調べてみようと思います。

あと『if』が劇場版NARUTOの主題歌になったとき、映画館まで行っておきながら『if』の意味とかは一つも知らんかったです。あ、さよならエレジーだ。さよなら。

 

 

デザイン思考テスト

名前はなんとなく聞いたことあった気がした「デザイン思考テスト」。去年まで受けていた一般的なWebテストとは違い、問題の条件設定から自分でやるらしい。

チラッと「高得点を取るならこれ!」みたいなサイトを覗いたら、高得点者は30分で20問くらい作って解いていた。僕は2問しか作れなかった上に、2問目を送信する前にタイムアップ。頼む、せめて勝手に送信されるシステムであれ。

Webテストは撃沈したものの、ESはいいものが書けたと思う。サークル活動の欄で、(サークルじゃないけど)めっちゃ友達とサッカー観戦、ゲームしてましたって正直に書けたのは初めてだった。実際に入社した人の中に、「学生時代、特に変わったことはできなかった」って人が多かったのがちょっと後押しになったかもしれない。どう評価されるかは別として、僕はあのESが好きである。

「これは…話聞きたいだろ流石に」

完成したESを改めて読み直した時の感想である。まあ「動画編集を終えた直後はめちゃくちゃ面白く見える的な現象」な気もちょっとする。

でも、そのくらいやって当然なのかもしれないな。自分の言葉で書いた上で、このくらい(もっと)思えるESに仕上げられるくらい、本当に行きたいところをみんな懸命に探してたんだな。

僕は、その前でドロップアウトしてしまった。なんとなく見栄えがする業界しかロクに見ずに、しかも最大手。案の定最序盤で門前払いされて、就活が嫌になった。そこで止まってしまった。みんな偉いな。就活生かっこいいな。

でもいいのだ。今こうしてまた、昔出来なかったことに改めて本気で向き合えているんだから。めちゃくちゃわがままだし、環境に恵まれている面がデカすぎるけど、結果としてリベンジするチャンスを得ることができた。だったらもう一つずつ玉砕覚悟で臨むのみ。

まあ、本当に何にも向いてなかったら、坂口恭平さんみたいに人生単位で漫画描くの継続する生活でもしようかな。一生やればYouTubeもなんとかなんだろ。

そんな「覚悟9割/甘え1割」で、今んとこやってこうかなと思ってます。頑張れ浅田、力の限り。

無職友達

こんばんは、浅田って言います。今日は無職友達と星を見に行ってみました。僕たちの地元は程よく田舎なので、車を10分も走らせれば満点の星空スポットに着きます。ありがたい。

なんとなく、流れ星が見れたような、見れなかったような。皆さん知ってますか?流れ星って実は、二人以上が同時に見ないと夢か現か判別がつかないんです。今回は残念ながら代わりばんこで見逃し続けて、結局最後まで流れていたのか分からずじまいでした。そうなると残るのはやるせない感情だけかと思いきや、シンプルに星が綺麗だったので一個も問題なかったです。

深夜に友達と星を見にいくのも然り、先日無職友達の一人が軽井沢で誕生日を祝ってもらったこともまた然りですが、結局「ベタ」っていうのは長年多くの支持を得ているだけあって最高なんだよな、なんて語らいながら、しっかり流れ星を見逃し続けました。

 

素晴らしい夜に一つだけ心残りがあるとすれば、今年出版社への就職を決断したことを友達に報告した際に、「やりたいことが変わったわけじゃない」とはっきり言えなかったことです。

「面白いものを作りたい」、その根っこは変わらないけれど、現時点での自分の力量とそれに伴う自信の欠如を鑑みて、とにかく多くの人に揉まれたい。願わくば、同じく「面白い」を求めている人たちのもとで。

んー、やっぱりどこか言い訳がましいな。まだ見栄えを気にして自分を取り繕っている感じがします。確かに面白いを求める人たちばかりの環境にこだわる必要もないのかな。でも選択する自由があるのならば、このチャンスを掴みに行かない理由もないのかな。

まだまだ、日々迷うことばかりです。案ずるより産むが易し、泥臭くやっていこう。こうやって言葉にしていないと、きっとまた理由をつけて諦めようとしてしまう。

出版社に入って漫画の編集をします。キングオブコントに出場します。YouTubeを収益化させます。常にフレッシュな受け手として、自分の中の「面白い」と向き合い続けます。

頑張れ浅田。力の限り。世界一面白い頭を手にするその日まで。いや、その日以降も。